横浜出身、川崎在住の裕美・ルミィヤンツェヴァは音楽、語学、研鑚が大好きなラグタイム&ジャズ・シンガー。十ヶ国語以上を学び、世界数十ヶ国、数百都市、数千町村を訪問          
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黒人&白人ジャズ
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●例外は沢山あるが、一般的に言って、
黒人が奏でたのが、ニューオリンズ・ジャズとブルース。
白人が奏でたのが、ディキシーとロックンロール。
それに上手く乗り、ボロ儲けしたのがユダヤ人。

WASP的白人になりたかったユダヤ人が、黒人の顔を借りて人種差別を語った。「肌が黒くてごめんなさいね。でも、肌の色は変えられないのよ。」という歌詞も、ユダヤ人に置き換えれば、「鼻がでかくてごめんなさいね(失礼)。でも、名前を変えればWASPになれる。」

そうして、ユダヤ人はティン・パン・アリーをのっとり、ハリウッドを買い取った。聖地を追い出され、故郷を失ったユダヤ人には黒人の気持ちがよくわかったのだ。だから「ポギーとベス」のような名作も、ユダヤ人から自ずと沸いてきた。

しかし、ユダヤ人は黒人とは組まなかった。彼らはむしろ見栄えの良いWASPになりたかったのだ。そんな中で、ユダヤ人のバーバラ・ストライサンドがバーブラに改名したり、HOBOKEN地区で育った訛りの酷いイタリア移民、フランク・シナトラが、カトリックからプロテスタントに改宗したり、ブルネットのマリリン・モンローが髪を金髪にしたりしたのだ。

ショウ・ビジネスの世界では常にアメリカン・アイディールを人工的に作り出していた。WASPがアメリカ社会でそこまで優先されたのは、人々がWASPをアメリカの理想像として捕らえたのは、少数派民族が自分の名前や容姿や訛りに引けを感じていたからだ。

それに比べれば黒人達は偉かった。金儲けのためなら、顔を黒く塗ってまでショウを繰り広げる白人達が沢山いる中、ありのままの自分をさらけ出し、表現した。彼らは決して泣きを見せなかった。

ブルースは長調。そこに現れるブルー・ノートがしばしば哀愁を生み出すが、歌詞からもわかるように、黒人達は悲しみさえも笑い飛ばしていた。ルイ・アームストロングのような、「悲しみよ、こんにちわ。黒くてごめんね、なんちゃって・・・」的なジャズは逆に人々の心を打った。

それに反したのがマイルス・デービスが奏でたようなクール・ジャズ。ディジーのように難しい理解に困るような音楽で、一生懸命踊って見せようと苦戦していたミュージシャンもいた。

一方、マハリア・ジャクソンのように、儲けようと思えばいくらでも儲けられたゴスペル・シンガーが、ナイト・クラブ出演を拒み続けたケースもある。

こうして考えると、ジャズには当時のアメリカ社会がたっぷりと反映されている。夢を追う。理想を追う。イカサマでも何でも、アメリカン・ドリームはいつの時代にもあった。考えれば考えるほど奥が深く面白い。

●今うちのアレェクスェイがピアノでナザレ(ブラジリアン作曲家)の曲を弾いていたので、思わずその横で踊ってしまいました。とってもリズミカルで明るい曲です。

ナザレの曲の中でも唯一副題として MAXIXE という言葉が付いているもので、そのタイトルは DENGOSO です。MAXIXE は ma/shi/sh と読みますが、lundu、ポルカ、ハバネラに影響を受けたもので、サンバ、ランバダ、ショーロとのつながりも深いです。

アメリカ南部でちょうどラグタイムが流行していたその頃、アルゼンチンやウルグアイではタンゴが、リオ・デ・ジャネイロでは ブラジリアン・タンゴが流行していました。1870年頃ですから正確に言うとラグタイムより少し早いですね。

南米の音楽は左手そのものがシンコペーションするものが多く、本来のラグタイムとは違いますが、西洋音楽に黒人要素が溶け込んだルーツを見てみるとラグタイムとは切っても切れない縁なのです。




裕美・ルミィヤンツェヴァ
HIROMI RUMIANTSEVA
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